このやろう! 2022/3/18

日記

こんにちは!

今日は、すごいタイトルになっちゃったな。

だってだって、なんかめっちゃイライラしたんだもの。

みんなもイライラすることあるよね。
自分の悪いところと、相手の悪いところを明確にする必要がある。

診断士的に考えてみても、取引において責任の範囲があるよね。
自分の責任においては自分が悪いけど、相手の責任のところをお前の責任だと言われたらそれは怒る。

では、この責任の区分とはどのように分けるのか。

んー。パッとは思いつかない。
自分の行うことや、自分の気持ちについては自分に責任があるようには思う。
ただ、相手の気持ちや相手の行うことについて責任は持てない。

明確に切り分けるのは難題そうだな。

私が確かに行った行為に不備があったかもしれない。
だが、こちらが行ってることに対して、にある事を行ったのは相手が悪い。

つまり、こちらの行為はこちらの責任。

相手の行為は相手の責任。

とこの場合は分けられるだろう。

例外はあるだろうか。

強い指示を受けて行った自分の行為の場合はどうだ。

自分の行為であり、責任はあると思われるが、強い指示を行った側にもあると思われる。
これだ。これは複雑になる。

逆らえない状態にて、強い指示をした場合は、指示したものが圧倒的に悪い気がする。
しかし、逆らえる状態であれば、指示される側にも責任があるのは当然だ。

では、「逆らえる状態」とは何か。

逆らえる状態っていう定義も難儀だな。
だって、死を覚悟して何事も行えれば、人は完全に自由だと言えるかもしれない。
死ぬとしても、逆らう。それができれば、逆らえる状態はいくらでもあるし、ほとんどの場合は逆らえる状態だ。

何かあるか?逆らえない状態は。

自分の命よりも大切なものを相手が握っており、どうにでもできる状態であったら、確かに逆らえないのかもしれない。
では、その大切なものを失ってもいいと思える状態になったら…

ん。

それは相手に強制的に信念を曲げられてると言えるな。
失っていいという覚悟があれば、逆らえない状態ではなくなるが、逆らった場合、自分の信念を変える必要が出てくるかもしれない。

相手に合わせて信念を変えた場合。
相手は、コントロールするためにその大切なものを握っているわけだ。
信念を変えて、相手のコントロールのままにならないとすれば。やはり逆らえない状態ではないということか。

逆らえない状態とは、どんな状況だとしても無いのだろうか。

信念を自由自在に変えられるという前提があれば、逆らえるのかもしれないが、そこまで人間は柔軟で便利にはできていない。

どうしても譲れないものがある。譲れない考えがある。それを犯すような行為の場合は「逆らえない状態」と言えるのかもしれない。

なんだか、感覚的に一気に考えたので、とてもヒューリスティックな思考に陥っている気はするが、難題だということはわかったし、思考すると面白く感じれたのは確かだ。

ただ、人がイライラするときやムカつく時は、自分が大切にしている何かを犯されたときに起こるのかもしれない。それはなんとなく分かった。

相手がイライラしていたり、ムカついていたりしたら、どんな相手の大切にしていることを犯してしまったのかをしっかり考えて、対処するようにしよう。

そうすれば、自分がイライラすることやムカついてしまうことも少なくなるだろうし、その分社会が穏やかになるだろう。

この分断が進みそうな世の中で、さらに分断を進ませるような行為はよろしくない。
分断ではなく、良い住み分けができればいいのだと思う。

よし、ちょっと書いたらスッキリ。

今日も勉強頑張るぞ。

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