こんにちは!
さてー。今日は論理トレーニング101題の70題付近にきておりますよー。
その付近になると、ついに文章を論理的に捉えるという本格的な厳しい訓練が始まります。
演繹と推測。これは頭がこんがらがるし、とても学びが多い。
言語は厳密に扱おうとするととても難しい。だから、公式の文章や政府の文章はまどろっこしくなるんだと思った。自分も正式な文章を書くことがもし生きてるうちに1回あるとしたら、恐ろしく苦しむことが想像できる。
話を戻して、
演繹とは、根拠となるものを認めた場合、一本道で結論が導き出されるもの。
推測とは、根拠となるものを認めて、何かしらの前提で補って、導き出される結論のこと。
つまり、演繹では答えは他にないが、推測では、答えが他にある可能性が無数に存在する。
すごい違いだ。
そして、問題の中で、この文章は演繹か推測かという問題が続く、これがまた難しい。
しっかりと理解しているつもりなのに、文章になってしまうと勝手な思い込みや感情が邪魔をする。
これは言い訳かもしれない。
でも、本当にわからなくなって、感覚で答えると必ずと言っていいほど間違える。
あと心に残っている言葉として、「逆は必ずしも真になるわけではない」ということだ。
これもすごくややこしかった。だが、簡単な文章で見てみると当然と思えるのが不思議でしょうがない。
月曜が祝日なら、火曜日は休館だ。
火曜日が休館なら、月曜日は祝日だ。
さて、この二つの文章は「論理トレーニング101題」の内容の一部だが、
この二つの文章は論理的に同じだろうか?
そう、合っているような気もするし、間違っているような気もする感覚。
これが正しい感覚。
んー、合ってるんじゃないか?
んー、多分違うな、だって問題として出すんだもん。
そんなふうに思うことだろう。
この二つの文章の関係を「逆」というらしい。
本の中では、「逆」や「裏」、「対偶」という3つの別の形が出てくるのだが、
これがしっかり作成できて、そしてどれがオリジナルと同じ表現となるのかがわからないといけない。
そして、
わかるだけでなく、それがどのような範囲の意味を含んでいるのかを感覚として捉えるまでいかないと
自由自在に使えるようにはなっていないんだと思う。
自分自身がまだ使いこなせないので人に堂々と説明できることではないが…
だけど、論理的に文章を読み解く大切さっていうものはこういうところに詰まっているんだと思ったので書いてる次第です。
これが一番心に今残っていることでもあるので。
今日は夕方にも論理トレーニングをしちゃう予定。
文章を論理的に構造を読み解き、論理的に関係を紐解き、論理的に演繹なのか推測なのかを理解する。
これができるようになると、文章の見え方が全然違ってくるんだと思う。
そして、理解度も跳ね上がってくるんだと思う。
是非とも、取り組んでみて欲しい。
それでは!
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