国語力は外出先で本当に鍛えられるのだろうか。
ドラゴン桜の芥山さんはできると言っていた。
説得力はあったし、理屈もなんとなくはわかった。だけれど、文章から作者が考えたり思っていることを想起するには、どれだけ言葉を知ってるかも重要だと考える。
確かに、外出先でさまざまな物事がそうなっている理由を推測する行為はとても思考力を高めると思うし、シャーロックホームズのような体験ができる日が来ることも可能性としてある。
しかし、どんなに思考力が高くなったとしても、文章に慣れておらず、語彙力も弱ければ、それを調べるところからになる。パッと文章を読解することは難しくなる。
つまり、外出先で思考力は高めることができるが、国語力は高めることができないと私は考える。
では、国語力を鍛えるにはどうしたら良いのだろうか。
それは、文章をたくさん読み、わからないことは徹底的に調べ、論理的に読み解くことだと考える。
まず、文章をたくさん読むことだが、たくさん読めば読むほど、文章というものの特徴が自ずと理解できる。難しく書く人もいれば、簡単に書く人もいる。読み難い文章もあれば、読みやすい文章もある。著者が好きな言葉を発見できるかもしれないし、著者の思い込みも見つけられるかもしれない。とにかくたくさん読むことで、文章に慣れてくる。それだと挫折するんだよ。という人もいるかもしれないが、好きな文章を見つけてほしい。どんな文章でもいいから、いろいろな文章を読んで、その人の文章構築がどうなっているのか、どんな言葉を多用しているのか。そんなことを考えながら読みまくることが第一な気がする。
次に、そのたくさん読み進める中で、わからない言葉は必ず調べることだ。たくさん読んでいると必ずと言っていいほど、読めない感じや、意味のわからない言葉が出てくる。その際に必ずそのまま読み進めないこと、読み進めたとしても、そこをわからないまま次を知ろうとするので、理解度が下がっていき、だんだん内容が分からなくなり面白く無くなってきてしまう。私は思う。文章を読むときになんで面白いとつまらないが出てくるか。それは理解度の高低なのではないだろうか。
最後に、論理的に読み解く。たくさんの文章を読み、分からない言葉を徹底的に調べるようにしているだけで、文章への抵抗感は薄れていくし、ストイックな方ならもう言葉からしか情報を取りたくなくなってくるんじゃないかって思う。なぜかって?とても効率的だからだ。自分の理解力のペースで、自分の好きなように読み進められるので、自分で自分をしっかり操れている感じになって、フロー状態になりやすい。そうなった時の人間の理解力や情報処理能力が一番高いように思う。そこで、一度立ち止まり、自分が文章というものを論理的に理解できているかのトレーニングをするのが良いと思う。僕がやったのは、論理トレーニング101題。この本の帯に、解説書なんかいくら読んだって論理の力は鍛えられない、ただ実技あるのみ。とある。その通りなんだと思う。とにかくたくさん文章を読んだ上でこの論理トレーニングをすると、文章が論理的かどうかということがよくわかる。今まで読んできた文章は本当に論理的なものだったのかと疑うことだろう。
ここまできて大変恐縮な思いが湧き上がっているのだが、この文章が論理的ではないんじゃないかということだ。つらつら書いてきたが、文章とは本当に難しい。難しいからこそ、こんなにも深みにハマってしまうんだと思う。
あー楽しかった。たくさんたくさん書くこと。これも、国語力を上げることにつながると思っている。
だから、書くのだ。どんどん書くのだ。
読んで。調べて。考えて。書く。
これをどんどんやる。
そのさきに見えてくる何かがあるのを期待して、登り続ける。
きっと、登り続けた先には、山の頂のような景色が待っていると信じて。
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